学校に行く必要ってあるの?

新しいガム、食べたくない?

はーい。

こんにちは。ぶるぞんカナトです。

絶賛with B募集中です。

今日はある有名人のツイートを軸に話してみたいと思います。

その方とはメキシコに移籍が決定したことでも最近ニュースで話題になりました、プロサッカー選手の本田圭佑選手です。

「のびしろですねぇ!」

…はい。これみんなわかるのかな笑

とまぁ、その気になるツイートがこちら

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はい。このツイートについてちょっと真面目に僕の意見を書いてみますね。あくまでもこれは僕の個人的な意見なのであしからず…

彼の考え、「学校に行く必要があるのか」に対する大方の意見は「YES」だと思います。その理由としてよくあげられるのは、

•学生の本分は勉強だから
•学校は社会の縮図だから
•周りとの協調性こそ学校で培うべきものだから
•友達といるのが楽しいから

こんなところでしょうか。また本田選手のようなトップアスリートは置いておいて、日本人の多くは一般的に学校を卒業後、会社、企業に就職し、サラリーマンとして働きます。そうなるとやはり「高卒」や「大卒」といった『学歴』が必要になってくるのも事実ですね。

では僕の意見はどうか。

現段階では可能な限り行く『べき』だと考えてはいますが、

僕は
「きちんと学校に行く意味を理解している人ならば、必ずしも学校に行く『必要』はない」とも考えています。

次いで、不登校になるにしても「現在の自分の状況を客観的に見ることができていること」も必要な能力です。

1つ目の学生の本分は勉強であるというのは、別に家でも勉強はできるので…

理解しているのに行かなくて良い、というのは矛盾しているようにも見えるかも知れません。

先ほど述べたように学校に行くことで得られるものはきっと多いはずです。ですがそれを分かった上でもなお、行かないと決めたならば、どれだけ周りに行けと言われようが、行く必要はないと僕は思います。

これは僕の経験上での話ですが、類は友を呼ぶといいますか、僕も何人かの不登校経験者の人と関わってきました。しかし、彼ら彼女らが果たして協調性に欠けた、偏った人間かと言われれば、決してそんな人ばかりではありません。

むしろ、周りにとっては当たり前で、深く考えたことのない「学校に行く理由」について真剣に向き合い、不登校を決断した方は、よっぽど、人間として味があるように僕は話していて感じました。

不登校者は多くの人が感じたことのない、経験したことのない、ある意味希少な、特別な感情を得て、経験を積んでいるのです。これはとても意味のあることだと僕は信じています。

また、僕は社会でもこの経験が活かせる日はすぐ訪れるのでは、とも考えています。現代社会ではアイデンティティーや個性などが求められています。求められているということは、そういうものを持った人が未だ少ないということです。これもよく言われることですが、アメリカやヨーロッパの教育に比べて、日本の教育は戦後から、生産の効率化を測るため、一人一人の個性を育むというより、全員を均一化した教育を行なっています。生徒はみんな我を殺し受け身の授業になりがち
ということですね、しかしこの均一的な教育システムのせいで生徒一人一人の個性は弱くなっているわけです。

しかしながら、その教育システムの中に組み込まれなかった不登校者は、つまり日本教育に個性を殺されずに済んだとも考えることができます。不登校の道を選ぶことこそがすでに個性的となり得るわけです。アメリカでは学校に行かず家で勉強するホームスクーリングは幅広く認められています。

ただ、自分を客観的に見ることも必要だと言ったように、ずっと不登校のまま、現状を打破しないままではそのせっかく得た1つの個性もアピールすることなく、埋もれてしまいます。

このツイートした本田選手の言葉を借りれば「自問自答を繰り返す」ことが必要で、とりあえず足掻いてみることも必要なのだと思います。

 

長くなってしまいましたが、僕らは不登校者の進学支援を目的とした団体です。もし、10代という多感な時期に、とある不登校に陥った経験があり、そしてなお、高校や大学へ入学を果たすことができれば、それはもうユニークな個性的な人生を歩んだことになりませんか?そんな人生を歩むのも楽しそうだと思いませんか?


とまぁ長々と書きましたが…

本田選手のこのツイートに対しての数多のリツイートやイイネが、彼の意見に賛成してる数だと捉えると、不登校を肯定されている人がこんなにもいるのだと元気づけられますね^^

では、また!