学校に行く必要ってあるの?-さつき編-

こんにちは。

 

カナトくんに続いて、今回は私さつきが本田選手のツイートに対して思ったことを書いてみようと思います。

 

いきなり本題に入りますが、私は「学校は行かなくてはならないか」という問いを投げかけられたら。

 

「行こうと思うなら行けばいい。でも、最低限の勉強はした上で、合わないと思うなら行く必要はない」

と答えます。

 

…なんだよ? って感じですよね。

自分でもあいまいだな、と思いますが、この答えしか思いつきませんでした。

私は義務教育をほとんど受けることなく終わってしまいましたし、そのことに関して後悔はしていません。

でも、「学校なんて、あんなところ行く意味ないよ!」とも思いません。

 

学校へ通うメリットの一つとして、自分から積極的に行動しなくてもある程度の知識を身につけられる環境を整えてもらえて、みんなで同じレールにのっかっているって思えること があるのではないでしょうか。

だからこそ、自分が本当は何がしたいのかわからないままずっといられてしまうという側面もあります。

 

また、学校へ行かないという選択をすると、いつ何をどのように学ぶのか、また学ばないのか、すべて自分次第でどうにでもなります。

究極、ずっと何もしないでいることも可能になります(そういう時間が必要な時も、何もしてないように見えてめっちゃ考え事してるみたいなときもありますが)。

 

ですが、ここで「自分は本当は何がしたいのか?」「どうしてやりたいのか?」「どうやったらできるのか?」などなど、、自分の頭で一から考える必要に迫られて、自分なりの答えを出すことができれば、それはなんとなく乗っかっているレールの上で出す答えよりも説得力を持つものになるはずです。

 

また、学校に行かないと協調性が身につかない、という考え方もあります。

ここでいう協調性が何を指すのかよくわかりませんが、私の身近にいる不登校を経験した人たちは、相手のこともきちんと考えられる人ばかりなので、一概には言えないのではないでしょうか。

死にたくなるほど辛いのに通い続ける必要はないし、そういうときはゆっくり休むのって大切です。

学校では教えてもらえないことに注力するために、行かないっていうのもありだと思います。

学校に行く意味がわからないから、行かないで自分にとって意味のあることをするっていうのもいいです。

 

でも、学校は敵じゃないし、戻りたいなと思ったら戻ってみるっていうのも、アリだと思います。

 

どのような選択であっても、選んだ理由を自分の言葉で説明できて、他人を故意に傷つけるものでなければどれも同じだけの価値があると思っているので。

 

けれど、現実問題として、もし学校に戻りたいなと思うことがあったら(特に、大学などに進学したいと思ったら)、現状では高校卒業程度の学力を証明して、いろんな形はあれど受験をしなければいけません。

最低限の勉強はしたほうがいいと最初に言ったのは、意味がないと勉強を切り捨てることで、将来やりたいことができたとき、そしてそのために学校へ戻りたいと思うことがあったとき、選択の幅を狭めないためという意味が大きいです。

 

本とインターネットでたいていの情報は手に入るし、ホームスクーリングだって根付いている国はあります。

なにより、学校は学ぶことでより豊かな人生を送るため手段のひとつで、私たちは学校に通うために生まれてきたわけじゃないはずです。

 

もっといろいろな選択肢を堂々と選べるようになる日がそう遠くないといいな、なんてこの記事を書きながら思いました。

長くなりましたが、読んでくださってありがとうございました。

 

 

それでは!

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P.S. 先日東京タワーに遊びに行きました。

大都会にあってすごく輝いているけれど、なんだかゆったりとした空気も流れていて居心地がよかったです。